|
|
|
|
|
|
|
|
HOME > 天国と地獄の情報 > |
→《 臨死体験再現ビデオ 》 PDFファイル |
● 私は無神論者でした 1985年六月、私はフランスにいました。私は芸術旅行で学生たちを引率しており、私の妻も私といっしょでした。そして旅行の最後の日が来ていました。 話をしていた途中で、私は地面に倒れ、腹部の激痛で悲鳴を上げました。救急車が来て、私はすぐに病院に運ばれました。私は医師から、十二指腸に穴があると告げられ、手術が必要でした。 その日は土曜日でした。私は入院し、ベッドに寝かせられました。看護師が病室に入って来て、私と私の妻に、「これから手術です」と言いました。 私は瀕死の状態でした。いわば、私は指の爪だけ引っかけて、なんとか生き延びようと努力しているようなものでしたが、もはやそれまででした。 私にとっての問題点は、私が無神論者だったことです。私は十代のころ、リベラルな信仰のプロテスタント教会で育ち、信仰を失っていました。そして大学生の時には科学的無神論者になっていました。 今や、私は死に直面して、絶望と憂うつ以外の何も感じていませんでした。 私は自分がまもなく死のうとしていると感じ、自分は存在しなくなるのだと自覚しました。 私の妻は無神論者ではなく、信仰がいくらかありました。私が妻に話すと、妻は涙を浮かべました。 私は目を閉じ、無意識状態になりました。 ● 自分の肉体の隣にいた自分 どのくらい時間がたったのか知りません。気がつくと、私は自分の体の隣に立っていました。目を開けると、私のベッドに一つの体があったのです。 自分の体の外部にいるのがどうやって可能なのか、私には理解できませんでしたが、私はその体を見つめていました。それだけでなく、私はこのうえなく心がかき乱されて混乱していました。 なぜなら、私は妻の注意を引こうと金切り声を上げているのに、彼女は私を見ても聞いてもなく、少しも動かなかったからです。私は同じ病室の同僚のほうを振り向きましたが、反応は同じでした。 彼も私のことなど忘れていました。私はますます怒りがつのり、心がかき乱されました。 私の名前を呼ぶ声が聞こえたのは、その時でした。声は部屋の外からでした。 初めは、私は恐れていましたが、その声は親しみのある声のようでした。そして私が部屋の入口に行くと、もやの中で数々の人影が動き回っているのが見えました。私は彼らに近くに来るようにと言いましたが、彼らは、私がはっきり彼らを見ることができるほど近くには来ようとしませんでした。 私が見ることができたのは、彼らのシルエット(影絵)とおおまかな特徴だけでした。それらの存在者たちは、私に、彼らのところに来いと言い続けました。 しかし、私が多くのことを尋ねても、彼らは、それをすべてはぐらかして、あいまいな答えを言うだけで、彼らのところに来るようにと主張しました。 こうして私はいやいやながらも同意したのです。 「私たちはどこに行くのか?」というような質問を私が続けても、彼らは私に、「着いたら、わかる」と言いました。それから私が、彼らがだれなのかと尋ねると、彼らは私を連れに来たと言いました。 こうして私は彼らの後について行きました。 私たちが進み続けた行程は何マイルもあったことを、私は知っています。そこには何の風景も建造物もありませんでした。あるのはただ、ますます濃くなって、ますます暗くなっていくもやだけでした。 彼らは私たちがどこに行くのかを私に言いませんでしたが、彼らが私の面倒を見てくれること、そして、私のために用意しているものがあるということを、ほのめかしました。 ● 拷問と笑いと悲鳴 ますます暗くなるにつれ、徐々に彼らは残酷さを増していきました。その生き物たちは私をからかい始めました。ある者は、別の者たちに、「おい、気を付けろ、彼をおびえさせて逃がすなよ」とか、「静かにしろ、もうすぐだ」と言ったりしました。さらに、彼らは私のことで卑猥なジョークも言い始めました。 初めのうちは、それらの生き物は一ダースくらいいるようでしたが、その後は、四十匹か五十匹くらいいると思うようになりました。さらにその後では、何百匹か、それ以上いるようでした。 その時点で、私はもうこれ以上行くつもりはないと言いました。これは私の側の、はったりのようなものでした。なぜなら、私はどの方向が後ろで、自分がどこにいるのかも、わからなかったからです。 私は病院の中にいるはずなのに、どうやってこんなに遠くまで歩いてきたのかわかりませんでした。 その生き物どもは私を押したり突いたりして反応しました。最初は、私はうまくやり返して、彼らの顔を打って彼らを蹴ることができました。けれども、私は彼らに少しも苦痛をもたらすことができませんでした。彼らはあざ笑っているばかりでした。 それから彼らは指の爪や歯で私をひっかき始めました。私は本物の体の痛みを経験しました。これは長い間続き、私は戦って、彼らをかわそうとしました。それが困難だったのは、私が大ぜいの者たちの真ん中にいて、私の周囲に彼らの手や歯があったからです。 私が悲鳴を上げて、もがけばもがくほど、彼らはそれをますます気に入っていました。その騒がしさは、ものすごいものでした。残酷な笑いと絶え間ない拷問があったからです。それから彼らは、別のさまざまな仕方でさらに私を侮辱したり、暴力を振るったりしました。それは、あまりにも恐ろしくて話すことができません。その会話も、想像できないくらいにひどいものでした。 ついに私にはもうこれ以上戦う力も能力もなくなり、地面に倒れました。彼らは私への興味をなくしたようでした。人々がそばを通って私を蹴ったようでしたが、激しい怒りはなくなっていました。 ● 神に祈りなさい 私がそこに横たわっていた時、このうえなく不思議な体験をしました。私の胸部から生じているような一つの声が、私の知性に話しかけたのです。 それは内面的な会話であり、その声は、「神に祈りなさい」と言いました。 私は私の声と言い争って、「私は神を信じていないのに、どうやって神に祈ることができるのだろう?」と言いました。しかし、私の声はこう言いました。 「神に祈りなさい」 私はこう思いました。「しかし、私はどうやって祈ればよいのか知りません、祈りがどういうものか知りません!」 三度目に私の声が言いました。「神に祈りなさい!」 それで私は、試してみるほうがよいと思いました。私は次のようなことを考え始めました。 「主は私の羊飼いです。神よ、アメリカを祝福してください」 聖なることのように聞こえることで、私が思い起こすことのできる小さなことばかりでした。 まもなく、それらの思いは、つぶやきとなりました。すると、私の周囲の生き物どもは、「神は存在しない」と言って私に向かって悲鳴や金切り声を上げ始めました。 彼らは私に、「おまえは世界で最悪の者だ」、「おまえの言うことを聞ける者は一人もいない」と言いました。これらの生き物どもがとても強く抗議したので、私はもっと多くのことを言いました。そして彼らに向かって、このように叫びました。 「神は私を愛しておられる。私から離れ去れ。神の御名によって、私から離れろ!」 彼らは私に向かって叫び続けていましたが、今や彼らは暗闇の中へと退いていきました。 気がつくと、私は自分が思いつくことで、宗教的に聞こえるどんなことも叫んでいました。しかし、周囲にはだれもいませんでした。私は暗闇の中で完全に一人きりでした。まるで私のことばが彼らに熱湯を浴びせたかのように、彼らは退却していました。 私は詩篇二十三篇の一部を叫んで、「私は死の陰の谷を歩いても、わざわいを恐れません」と言ったり、主の祈りをしたりしましたが、それらを信じてはいませんでした。 それらが生き物どもを追い散らす効果があるとわかったので、そうしたのですが、私の心の中では、その真実性については確信していませんでした。 私はそこに一人でいました。どのくらいの間であったか、私は知りません。私は絶望の中へと沈んでいきました。あり得ないと思うくらいに深くへ沈んでいきました。 私がたどり着いたのは、暗闇の中であり、暗闇のどこかに、悪しき生き物どもがいました。私は動けず、這うこともできませんでした。私は全くずたずたに引き裂かれた思いで、どうすればよいかわかりませんでした。事実、私は自分が本当にもう存在したくないと思うまでになっていたのです。 このうえなく深い絶望のその瞬間、私の子どものころの歌声が頭に浮かんで来ました。私が日曜学校に出かけて行った時のものでした。 「イエス様は私を愛しておられます…イエス様は私を愛しておられます、私はそれを知っています」 私はそれまで人生で願い求めてきたどんなものよりも、そのことが真実であってほしいと思いました。私の知性も力も心も、私の存在のすべてをもって、私は暗闇の中に向かって叫びました。 「どうかイエス様、私を救ってください!」 私は本気でした。私はそれを疑うことはなく、私の全存在をもって本気でそう言いました。 そう言ったとたん、小さくてぼんやりした星が暗闇の中に現れました。それは急速にどんどん明るくなっていき、やがて大きくて、描写できないくらいに明るい光となりました。 それは私をその光自体の中に拾い上げたのです。それが私を持ち上げる時、私が自分を見下ろすと、私が受けた裂け傷や涙やさまざまな傷が、すべてゆっくりと消えていきました。私は持ち上げられていく時、全く健康になりました。それは説明しがたいほど美しいもので、それは善なるものであると私にわかった、としか説明できません。 ● 本気で泣いた最初の時 ほんの少し前までは私は無神論者であったのに、すぐ後では私のすべてがイエス様を欲していました。私は、私のプライドも、私の利己主義も、私の自己信頼も、大いに高められた私の知性への依存も、すべて失っていました。そういうどんなものも、もはや私に役に立たなくなっていたのです。それは私を裏切っていたのです。私が自分の人生の目的としてきたどんなものも、私の神としてきたものも、私が崇拝してきたものも、どんなものも私を見捨てていました。 私が呼び求めるに至ったものは、何年も前の小さな子どもの頃に植え付けられた一つの望みでした。 私は、その光はだれよりも私のことを良く知っているとわかりました。つまり、その光は、私がそれまで一度も経験したことのない仕方で私を愛してくれたのです。 私は泣き出しました。それは、私の人生で起こったどんなものをも、私から完全に一掃してくれたのです。私はその時までに泣いたことがあったのは、たぶん二回か三回だったと思います。私は、泣くのは弱さを示すことだと考えていました。この時は、私が大人になって本気で泣いた最初の時でした。 現在、私は泣くのはとても重要なことだと考えています。泣くことが適切なことなら、私は自分自身に泣く許可を与えます。私は抑えることはしません。 この光(私は現在、それを光の天使と呼んでいます)は、行き来しているほかの数々の光や天使たちに囲まれていました。天使とは、神からの使者を意味します。この天使も確かにそうでした。彼が私をつかむと、私たちは暗闇のその場所から出て上がって行きました。そして空間を旅行し始めました。 遠く離れた所に、星で満ちた空だと私には思われるものが見えました。ところが、私たちがそのほうへと移動すると、彼らはみな動いていることに私は気付きました。中心部から離れて行ったり、中心部へ向かって動いたりしていました。 これらの天使たちは忍耐強くて善良な教師たちであり、「私は愛されて受け入れられている」ことを私に感じさせてくれました。しかし、彼らが私に教えるのがとても困難なこともありました。 ● 人生で重要なこととは? 彼らが最初にしようとしていたことの一つは、私の人生を私に「明らかにする」ことでした。私は、とても恥ずかしいのでそれを願わない、と彼らに話しました。私は冒涜したり、真理を否定したりして人生をおくってきましたが、ここでそれを直視させられていたのです。 私は自分があざ笑ってきた人々や、おそらく私が教師として真理を否定して神から離れさせてしまった人々など、そのすべての人々の重みを感じました。私の冷笑や自己崇拝によってもたらした損傷について、私は考えるのも耐えられませんでした。 私たちはいっしょに私の人生を見つめました。それは初めから終わりまで、時間の順序で私たちの前に映し出されました。非常に速く過ぎる箇所もあれば、非常にゆっくりの箇所もあり、異なる観点から幾度も見た箇所もありました。はっきりした背景はなく、私の人生のさまざまな姿がありました。 重要なのは、その人々であって、環境ではありませんでした。私たちは時間において戻ることも前に進むこともでき、またさまざまな場所を見ることができました。ただし、それらの場所に実際に存在することはできませんでした。 私が達成しようと熱心に働いて人々から賞賛された場面などになった時、彼らはそういうことには全く関心を持ってなく、すぐにやり過ごしました。私は、自分がどれほど熱心に働いて賞を獲得し、衆目を集めることになったかを彼らにわかってもらいたかったので、その場面で止めるようにと彼らに言いましたが、彼らはこう言いました。 「確かにそうですが、それは重要なことではありません」 悪い出来事の場面になった時や、良いことより悪いことのほうが多い場面では、天使たちはそれを詳しく見せました。たとえば、私が人生で失敗したことの一つは、人々と関わり合う仕方でした。 私は人々を、利用する物、彼らから何かを得るための物と見ていたのです。つまり、私は自分のさまざまな関係を操作していたのです。 私は、自分が父を怒らせてしまった次第を見ました。というのも、父はビジネスにばかり注意を向けていたからです。私は意図的にそれをしたのではなく、それは十代の時期の嫉妬心によることでした。私は、父が仕事にばかり注意を向け、私には注意を払わないことに嫉妬したのです。 別の状況で、美しい若い女性が私の生活に登場しました。彼女は、彼女自身と彼女の愛を私に与えました。しかし私は彼女を心理的に虐待したのです。 私が見たもう一つのことは、神が私に贈り物として、子どもたちと、彼らを育てる妻とを与えてくれたことでした。ところが、私は彼らを私自身のエゴの延長として見たのです。 もし彼らが、私がしてほしいことを行えば、もし彼らが私のような者であれば、私は彼らを喜びました。彼らが私と同じようではない振る舞い方をすれば、私は彼らを憎み、怒りをあらわにしました。 また私は、自分がどんどん人々から遠ざかっていき、自分のわがままな世界の中で生活し、ますます不幸になっていくのに、この世とはうまくやっている自分を見ました。私は成功しており、仕事では昇進し、お金をかせいでおり、私はすばらしい人だとみんなから思われていたのです。 天使たちは、私を愛していることを私にわからせるために止まらなければならないことが、何度もありました。私は自分がおくってきた人生で彼らをどんなに傷付けているかも、私には可能性があったのに彼らの期待や希望をどんなに裏切ってしまったかも、わかりました。 ● 神が願っておられる生き方 私は幼い子どものころのことも見ました。私は、愛のある人、与える人、信頼する人になるよう強制されてきました。しかし私はそのことからそむいていました。それは、だれのせいでもなく、私自身のせいでした。彼らは私に、私がどのようにして主にそむいてきたかを見せました。それはすべてプライドでした。 私は十代のころ、良い信仰的な教えを受けませんでした。私が受けたのは信仰ではなく、多くの、このうえなくリベラルで人間的な合理主義でした。 私は、私自身が人々に、「あなたはイエス様を信じていますか?」とか、「天国と地獄を信じていますか?」と尋ねているのを見ました。 すると彼らは、「いいえ、本気じゃありません。」と言いました。その人たちは私の教会内の人々でした。答えを探している私自身が見えました。 そして、私は大学に入ると、答えを全部知っているように見える人々を見出しました。マルクス主義者や無神論者たちでした。彼らは、社会主義や彼らの理想を通して世界を変革していこうとしていることについて、ぴったりの答えを持っているように見えました。私はそれに巻き込まれたのです。 私の人生で幾度か、神が非常に多くの方法で私に手を差し伸べようとされたようすを見ることができました。ラジオから聞こえる歌であったり、私が読んだ物語や小説であったり、歴史の本の中の伝記的描写であったりしたこともありました。 神は、私を愛している善良な人々を通して私に手を差し伸べようとされ、私の心を開いて私に近づこうとされたのです。私の人生のどの日にも、神は私のために手を差し出しておられたようでした。 この体験の前、もし人々が私に、「神は良い神ですか?」と尋ねたとしたら、私は彼らをあざ笑ったことでしょう。しかし、今、私が気付いているのは、神は私たちが良いお方だと思っているより、ずっとすばらしいお方であられるということです。「良い」ということばは、その御性質のほんの小さな反映にすぎません。 私の前にもたらされた私の全生涯を見た後で、天使たちは私に何か質問はないかと尋ねました。私にはありました、たくさんありました! 私は彼らに、良い質問も、ばかげた質問も、知的な質問も、哲学的な質問もしましたが、私が何を尋ねても、彼らははっきりわかりやすく答えました。 私は天使たちに、「私は天国に行きたい」と言いました。しかし彼らは、私はまだ用意ができていないと言いました。彼らは、「あなたは行って、神があなたに生きてほしいと願っておられる仕方で生きなければなりません」と言いました。 私はできる限りに強く議論しました。彼らは非常に穏やかでしたが、その時点で私が天国を選択できないという点については意志が強固でした。 気がつくと、私は自分の体の中に戻っていました。私は、どういうことが起こったかを私の妻に話したいと思いました。しかしあれほどの平安と喜びから戻って来たのに、私の体は痛みでとても苦しんでいて、妻に話しかけることができませんでした。 その時、看護師が入って来て、医師がこれから私にすぐに手術を行いますと言いました。彼らは私の妻を病室の外に連れ出し、私は手術室に運ばれました。それまで妻は、私を失ってしまったという思いに包まれていました。私はおそらく三十五分間くらい意識がなかったからです。そのため、彼女はこれからどうなるのか全くわからずにいたのです。 翌日、妻が回復室に来た時、私の体のどの箇所にも管が付けられていたはずです。私は彼女に、神の愛について、また彼女がイエス様に自分を献げなければならないことについて話そうと努めました。私は彼女に、イエス様に対して「はい」と言うようにと言いました。彼女は、私が完全に頭がおかしくなったと思いました! 私が次に彼女を見た時、もう一度彼女に、もっと穏やかに話そうとしましたが、私はとても感情的に興奮してしまいました。看護師たちが病室に入って来た時、私は彼女たちに、「あなたたちは神の働きをしています。人々を助けて愛しているからです。神はあなたたちの仕事に微笑んでおられます」と言いました。言うまでもなく、私は狂人だという評判が立ちました。 それから私は両手で聖書を取り、みことばを読むようになりました。そして、人々が面会に来た時、私はそのみことばを彼らに暗唱しました。なぜなら、もしかすると私が言うことばはあまり良くないのかもしれないと思ったからです。しかし、もちろん、人々はそれも好まなかったのです。 その間、神は私に語りかけてくださり、その病院を離れてアメリカに帰るようにと言われました。 医師たちは、私が生きているのは奇跡だと言いました。私は、「そのことばを本気で言っているんですか?」と言いました。彼らが本気ですと言うと、私は神のことや、神が彼らを愛しておられることを彼らに話し始めました。すると彼らは急いで部屋から出て行きました! 私が何ヶ月もかけて学ばなければならなかったのは、私がとても熱心な仕方で世界を回心させようとしてもあまり成功しないということでした。 特に、私の妻には、私は落ち着いてしなければなりませんでした。私は感受性が乏しかったにもかかわらず、彼女はイエス様を彼女の救い主として信じるに至ったのです。 人々は、「それは全部、あなたが見た夢ではないか?」と何度も言いました。私も自分は夢を見たのだと思ってしまいそうになったことも時々ありました。 私の体の具合がとても悪かった時、私は午前三時ごろに目が覚め、絶望感を覚え、死んですべてから抜け出したいと思いました。その時、神の愛と平安が私に訪れ、私は自分の否定的な反応をとても恥ずかしく感じ、私があの体験をしたのは、私があの愛を信じて信頼するためであったのだとわかりました。私がそうした時、健康になってきたのです。 この体験で私の人生は完全に変わりました。その結果として私がフルタイムの奉仕者(牧師)になっただけでなく、それによって私の感じ方も変わりました。 それまではいつも憂うつと冷笑がありましたが、現在は本物の喜びがいつでもあります。私にはアップダウンがないと言っているのではありません。一日一日に喜びで満ちたものがあり、私はその喜びと平安を広めようとベストを尽くして努力しているのです。しばらくたってから、私は、ある聖書研究のグループで話すよう招かれました。人々は私に、私の話で彼らの信仰が強められたと言いました。 私は彼らに愛され、彼らに受け入れてもらえたという気持ちになり、そのことで励ましを受けました。そこでの出来事から、他にも数々の機会が与えられるようになりました。私が重要なのではありません。私の話が重要なのでもありません。重要なのは、私がだれかの信仰を励ますことができることです。あるいは、信仰を持っていない人のために、その人がどういう者であり、何であるかということを私が再検討させてあげることができることです。 私の望みは、私が人々をキリストに導く道具となることです。なぜ神が私をお選びになり、この体験をさせてくださったのか、私は本当にわかりません。 しかし、物事をはっきり表現する能力のある教師として、また、確かな無神論者として良く知られていた者として、私は、神はご自分の力を人々に示そうとしておられると考えています。 私はこれまでたくさんの本を調べ、臨死体験をした人々にもインタビューしてきました。そしてわかったのは、あざけられると思って自分の体験を話すことをためらっている人が大ぜいいることです。 また、あの深い果てのところに行って体験したことについて、大きくまちがった解釈をしている人々もいます。たとえば、ある女性がテレビで自分の体験を話し、こう言いました。「光と愛ばかりでした。地獄はありませんし、裁きもありません。完全な愛と光だけです」 私は彼女のことを気の毒に思います。なぜなら、彼女はもしかしたら一瞬、聖なる体験をしたかもしれませんが、その後で、非常にまちがった神学的推測をそれから造り出してしまったからです。 私たちがこの世界で何をしているかが、自分がこの世界から出てどこに行くかを決定するのです。人々は自分の行動の結末を直視しないように努めています。彼らは自分を欺いて、こう言っているのです。 「私は自分がしたいことを何でもできる、そんなことは問題ではない」と。それは問題なのです。私たちがこの世界で行うどんなことも、重要なのです。 私たちは自分のまちがった行いを赦してもらうことが可能なのです。ただし、私たちは回心しなければなりません。それは、自分の罪や悪を放棄し、そして最も重要なこととして、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れなければならないということです。 |
|
★
抜粋を音声で聞く( MP3)
→ 体験A(7分) B(9分) C(9分) |
●地獄は本当にあります!【2】 《地獄は本当にあります、 作り話ではありません!》 …アンジェリカ・ザンブラーノ(エクアドル)の体験 ●自殺して地獄に行った15歳の少女 ●自殺者たちの証言・聖書の証言 |
copyright c. www.tengokujigoku.info |