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HOME > 天国と地獄の情報 > |
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■私は、地獄とは神から離されるだけのことだと思っていました 私は十一歳の時にイエス・キリストを私の人生の主(主人)として受け入れました。 私は十七歳で結婚し、教会を離れ、罪の世界に入って行きました。 四十歳の時には、私は二度目の結婚生活をおくっており、完全なアルコール中毒患者になっていました。私は麻薬やアルコールやたばこに夢中で、私の人生への神の召し(招き)からは逃げていました。 事故に遭う一週間前、私は職場に車で向かう途中、私の母の家に立ち寄りました。私が家に入ると、母は泣き出して、こう言いました。 「アリーン、あなたはいつ神様にあなたの人生をお返しするつもり? ずいぶん老けて見えるわよ」 私は自分が生きようが死のうが、かまいませんでした。母もそのことを知っていました。私は自殺を試みたことが幾度もありました。私はアルコールや麻薬にあまりにもとりつかれていて、神がふたたび私を解放できるとも、いつか私を解放してくださるとも信じることができませんでした。 私は神にそむいたことが何度もあったので、もう一度私を赦してくださいと神にお願いする権利さえないくらいでした。 私はこう言いました。 「ママ、私は地獄なんか気にしていないわ。悪魔が私に対してできることで、私がこの地上の人生で経験していないことがあったら、私に言ってちょうだい。 私はこれまでずっと、心痛と悲しみと地獄ばかりを経験してきたのよ。 地獄の炎でも悪魔でも、私に触れることなんかできないはずよ」 私は母を見つめて言いました。 「ママ、天国が存在して、地獄も存在するとしても、私にとっての地獄は、私が生涯とても愛してきた神様から離されるだけのことだわ」 私はそう叫びながら玄関に走って行きました。すると、母はいつものようにひざまずきました。 彼女はこう祈りました。 「神様、彼女のことばをお聞きになったはずです。彼女は死も地獄も恐れていません。 なんとかして、彼女に地獄の一部を見せてやって、彼女を連れ戻してください。 そうして、彼女の心にふたたびあなたを恐れる思いをお与えください」 ■私を地獄に送った自動車事故 一週間後、私は自動車のハンドルを握ったまま寝入ってしまいました。私は川の土手を飛び越え、外に放り出されました。 私の首の骨が折れ、私の腰は四ヶ所が大きく砕かれ、肋骨は九本折れ、左の肺は押しつぶされ、二つの腎臓も押しつぶされました。 母は病院に呼び出されました。二人の医師が玄関で母と面会し、私が助かる唯一の望みは神だけですと告げました。私は全能の神から奇跡を受けなければならなかったのです。 その間、気が付くと、私は、あの「死の陰の谷」(旧約聖書・詩篇二十三篇)を歩いていました。 その谷はとても深くて、暗くて、広い所であり、私はとてもこわくて、ほんの少しでも動くことができませんでした。 私は神に向かって大声で、私の足をおさえて、私が動かないようにしてくださいと叫びました。私は、ものすごく真っ暗な暗闇の場所にいたのです。私は自分の前にある両手も見えませんでした。 私はいつも詩篇二十三篇が大好きでした。私はそれを引用して言い始めました。 「私は死の陰の谷を歩く時でも、…」 しかし、私はそのあとを続けることができませんでした。私は、「 あなたのむちとあなたの杖、それらが私を慰めてくれます」と言えませんでした。 私は、私の生活に罪があるままで、そこに立っていたのです。 そこで全能の神とお会いするには、私は未完成だったのです。 私の内側で生きている唯一のものは、神のことばだけでした。すると、そのみことばがイエス・キリストに変わりました。 彼は私のために、父なる神に対する大祭司として、とりなしを始められました。その死の谷で、私のたましいを動かないようにとどめておくためでした。 右側に強大な死の天使が現れました。 私は叫んで言いました。 「なぜ、ここに死の天使がいるんですか?」 彼は、御父のご命令に基づき、私と私の主とを分け離すために来たのでした。 その死の天使は、あの外の、外の暗闇へと私を連れて行きました。 気が付くと、私は地獄の中にいて、悲鳴を上げたり、大声で叫んだり、歯ぎしりしており、その死の天使に、「私を地獄の中に置き去りにしないで!」と懇願していました。 私の周りには、おびただしい数のたましいがいて、悲鳴を上げたり、歯ぎしりしたり、死のうとしたりしていました。 ■二つの死 私たちは、死んでしまえばそれで終わりだと思っています。しかし、死ぬのは肉だけです。その後で、第二の死があるのです。それは、そのたましいに神の裁きが宣告される時です。私たちは、神の内にある者として命の宣告を受けることになるか、あるいは、死の宣告を受けることになるか、そのどちらかを受けるのです。 ただし、死の宣告を受けても、私たちは「死に絶える」わけではありません。私たちは存在しなくなるのではありません。最初の死の後、私たちはもっと意識が高まるのです。たましいは、永遠に、永遠に生き続けるのです。 あの裕福だった男のたましい(新約聖書・ルカによる福音書16・19〜31)は、今でもそこにいて悲鳴を上げ、大声で叫び、歯ぎしりしており、火の池に投げ込まれる裁きの日を待っているのです。 そこで、ある大きな淵が据えられてあるのが見えました。それらのたましいはみな、父なる神のところへと登ろうとしていました。しかし、その深い淵を通過するための唯一の道は、イエス・キリストの尊い血を通って行く道でした。その血は、それまで私がとても軽んじていたものでした。 それから神は火の池を私に見せてくださいました。そこでは、天使たちのうちの三分の一が暗闇の鎖でつながれていました。赤くて熱い、突き刺すような炎が、いたるところで燃えていました。それなのに、その炎は光を全く放っていませんでした。その火の池は、真っ暗な闇の中にありました。地獄は拡大しつつありました。 そして、地面をも揺さぶるような、神の力強い御声が聞こえてきました。彼は、その空気に染み渡るように私に話しかけられました。 彼はこう言われました。 「あなたが悪魔を恐れないのは正しいことでした。けれども、私は彼が最初の死をもってあなたを殺すことを許しました。 あなたは私を恐れなさい。私こそ、あなたの体とあなたのたましいの両方を滅ぼすことができる者なのです。私が地獄を所有しています。私は、やむを得ず、これらのたましいをここに投げ入れたのです」 神は、人間のたましいのために地獄を創造したのではないと言われました。しかし、地獄は拡大しつつありました。なぜなら、「滅びに通じている門は広く、…命に通じている門は狭く、…それを見出している者は少ない」(マタイ7・13、14)からです。滅びに至る道を歩んでいながら引き返すことを拒んでいる人々が多いのです。 ■地獄で神は私に話しかけられた 私が昏睡状態で横たわっていた日々の間、私はあの暗い谷の中で待っていたのです。それは永遠のように思われましたが、地球の時間では、ほんの数日にすぎませんでした。この期間、私の姉が私の命のために熱心にとりなしの祈りをしていました。 長い期間と思われる時が経過した後、ついに一つの明るい光が輝き始めました。それは非常に聖なる、非常に義なる光であり、私はその全能者の光を見上げることさえ、ふさわしくありませんでした。 その暗くて深い谷の中で、私は自分の両目を覆って、うつ伏せに倒れました。そこで、二度目に、全能の神の御声が私に話しかけました。神が私に言われたのは、ローマ11・29のみことばだけでした。 「神の賜物と召しは、思い直される(後悔される)ことのないものだからです」 私は、「神様、私をお赦しください!」と絶叫しました。私は、まさに今、自分は死ぬのだと思いました。というのも、この時、私の押しつぶされた肺と、収縮していた私の右の肺は膨張し始めており、私は四分間も呼吸していなかったのです。医師たちは私の二つの肺に大量の酸素を押し込もうとしていましたが、少しも良くなってはいませんでした。四分たってから彼らは私を検査しました。命は全くありませんでした。 あと一分もすれば、彼らは私に死亡宣告を下し、生命維持の機械を全部私から取りはずしたはずです。 ■私の罪 私は、彼らが私の命を救うために何をしようとしているのか知りませんでしたが、私が死につつあることは、わかりました。 天に、一つの美しい巻物が現れました。一つの手が現れ、その巻物を開き始めました。 そこで数秒間のうちに私が自分の前に見たのは、私の全生涯、私がこれまで行ってきた一つ一つのことでした。 そして、私をとても愛してくださり、私をあの谷に置き去りにされなかったあの同じイエス様が、ご自分の指で私の生涯に対する裁きを書かなければならなかったのです。彼が私の罪の名を書かれるのが見えました。それは、私と私の神とを永遠に引き離すことになる罪でした。神の力強い御手が私の生涯に対して書き始めたそのことばを、私は信じることができませんでした。その力強い指は私の生涯に対して、「情欲」ということばを書き始めたのです! 私が私の夫たちへの愛と呼んでいたものを、神は情欲と呼ばれたのです! 私は悲鳴を上げて叫び始めました。 「ちがいます、神様! ちがいます、神様! それは私のことではありません! それは私のことではありません!」 私は自分のことを「情欲に満ちた女」だと思ったことは一度もありませんでした。 私が自分への裁きを見た時、私は自分が今死のうとしているのだと知りました。 私は死にながら、大声でこう叫んでいました。 「神様、私をお赦しください、私をお赦しください! 私をあわれんでください!」 ■母の胎にいる時から私は召されていた 気が付くと、私は私の母の霊的胎内に戻っていました。私の母と私の姉が祈りの中でどんなに苦労して私をふたたび神の国の中に産み出すかを、神は私に見させてくださいました。 その時に主が私に与えてくださったその幻の中で、私の姉が私をふたたび誕生させるために一生懸命に祈り始めるのが見えました。そして、彼女が骸骨に変わるのが見えました。彼女の肉はすべて消耗し、彼女からなくなっていたのです。医者が教える通り、母親が子どもを産み出す時、命と死はまさに紙一重なのです。 私は、かつては母の胎内の一つの「物体」にすぎなかった私自身を見ました。ここで、またしても三度目に、全能の神の御声が語られました。 彼はこう言われました。 「あなたがこの腹の中に存在するようになる前、私はあなたを前もって知っており、世界の基が据えられる前からあなたを召し、あなたを任命していました。私のひとり子の生涯への召しを私が思い直す(後悔する)ことなどあり得なかったのと同様に、私が人々の人生の上に置いた召しを思い直すこともありません」 そして、神はもう一度繰り返して言われました。 「私は思い直すことがありません」 私の母が陣痛を始めました。陣痛があるたびに、この漠然とした「物体」(それは私でした)に命が戻り始め、ついに、私に命が回復しました。私がまだ生まれていない状態の時もそうであったように、私はふたたび私の命にイエス様と聖霊の臨在を感じることができました。 陣痛のたびに私は新たに形造られていきました。(私たちが御霊によって新しく生まれ変わる時、ますます痛みを感じるようになることが、よくあります) 私の母が力んで最後の産みの苦しみを始めると、それによって私は母の胎内で動かされ、私の頭は母の産道の開口部に移動しました。私が母の産道から飛び出した時、神は私にこう言われました。 「私のことばを、私のことばを、私のことばを宣べ伝えなさい。 裁きの日には、どんなことばも釈明が求められることになります」 ■天国は存在し、地獄も存在する! みなさん、天国が存在すると、私は確かにわかったのです。私はパラダイスの光を見ました。しかし、地獄も存在するのです。私は地獄の中を歩いたのです。かつて私が思い描いていたあの地獄を私に経験させてやってください、という母の祈りに神は答えてくださったのです。私が思い描いていた地獄とは、私がとても愛し、十一歳の時に私の救い主として受け入れた私の神から引き離されることでした。 人は神から永遠に引き離される時、地上には決してないような恐ろしい霊的火の中に突入するのです。 かつては神を知っていた一人のたましいにとって、今や、外の、外のあの暗闇に投げ込まれ、自分を創造された方であられる神から永遠に分け離されるのは、まさに霊的拷問(ごうもん)です。 愛するみなさん、地獄が存在することを私は確かに見出したのです。私は地獄の穴の中を歩いたのです。 あなたは自分がこれからどこで永遠を過ごすかを、この今の人生を生きている間に選ばなければならないのです。すなわち、天国で永遠を過ごすか、それとも地獄で永遠を過ごすかをです。 私たちが最初の死(肉体の死)を経験する時、私たちは生き始めるにすぎないのです。「人間には、一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9・27)のです。 あなたには、神との面会の約束があり、あなたはその面会の約束を果たすことになるのです。 聖書は地獄を、罪人と不信者を将来罰する場所として述べています。そして私はそれが本当のことであるとわかったのです。地獄は火の池であり、拷問(ごうもん)の場所です。 そこは、滅びた人々が決して死ぬことがなく、火が消えることのない場所です。 そこは、人々が泣いたり、わめいたり、歯ぎしりしたりしている場所です。 そこは、罪人たちが神の御怒りのぶどう酒を飲んでいる場所です。 そこは、彼らの苦しみの煙が永遠に立ち上る場所です。 あの裕福だった男のたましいは、今もなお、そこで悲鳴を上げて叫んでおり、死のうと努めているのです。しかし、人のたましいが死ぬことはありません。それは永遠に生き続けるのです。地獄の火は肉を焼き尽くしますが、それがたましいを焼き尽くすことはあり得ないのです。 私は、地獄が現実に存在していることの、生きた証人(目撃者)なのです。地獄が拡大しつつあるのは、人々が信じることを拒んでいるからです。 あなたは、しなければならない決断の中で最大の決断をしなければなりません。 あなたは永遠をどこで過ごすつもりでしょうか? 天国ですか? それとも地獄ですか? あなたは、「私は地獄なんか信じていません!」と言うかもしれません。 しかし、友よ、二分間、地獄にいてごらんなさい。泣きわめく人々や歯ぎしりする人々の中にいてごらんなさい。あなたの考えが変わるはずです。 その時、あなたは気付くはずです。今日、地獄にいるだれもが気付いているように。すなわち、聖書は、まさに神のことばであること。あなたが罪人であること。キリストはあなたのために死なれたこと。 そして、もしあなたがキリストを自分の救い主として信じて受け入れていたら、あなたは救われることができたはずだったということを。 あなたは泣いて、わめいて、歯ぎしりしながら、苦悩して、大声でこう叫ぶようになることでしょう。 「私はなんという愚か者だったのだろう!もう手遅れだ! もう手遅れだ! もう手遅れだ!」と。 地獄には信じていない者など一人もいません。ただし、彼らが信じたのは、遅すぎたのです! 地獄のたましいはだれでも、この世のどんなものでも差し出して、この地上の人生にいる私やみなさんと同じ状態にふたたび戻り、もう一度チャンスをもらって、「神様、私をお赦(ゆる) しください!」と叫びたいはずです。 もし私たちが人生で罪を悔い改めないまま、あの暗い死の谷にたどり着くなら、もう手遅れなのです。あなたには、あなたのたましいのために死ぬまで祈ってくれる母親や姉妹はいないかもしれません。 ■「私は呼んだが、あなたは拒んだ」 私が酒場の丸イスに座っていた頃、神は幾度も私の心に旧約聖書・箴言1・24のみことばを語りかけてくださいました。 「私は呼んだが、あなたは拒んだ。私は呼んだが、あなたは拒んだ。私は呼んだが、あなたは拒んだ」 悲しいことに、私は四十歳にもなって、まだ神から逃げており、麻薬とアルコールに束縛されていたのです。私が私の命を神に完全にお献げするようになる前に、神は、私が首の骨を折って四十分間死ぬことを許容され、私を地獄に連れて行き、また連れ戻るようにされたのです。 ■神から逃げるのをやめなさい! 神から逃げ続けてはいけません。私のように、あなたも神を自分の主また救い主として知っていると言うかもしれません。 しかし、もしあなたが神のみこころを行うことから逃げ続けているなら、あなたはあの暗い死の陰の、御怒りの神のもとに直行することになり、彼はあなたを裁く方となられるのです。 神の一つの側面として、大いなる御怒りという側面もあるのです。あなたは裁きの日に、そのようにして神とお会いすることになるのです。あなたは今まで自分が恐れてきた真実と直面することになり、火と硫黄の池がある地獄が存在しているということを知ることになるのです。 けれども、あなたは地獄に向かって進むがままにしている必要はありません。 神は、地獄に送り込むためにあなたのたましいを創造なさったのではありません。神は天国をあなたのために造られ、地獄を悪魔と彼の使いどものために造られたのです。 あなたがこう言うのは可能です。 「あの『地獄』とかいうのは、昔のことだ。知識人なら、あんなナンセンスなことは、もう信じていませんよ!」 しかし、愛する友よ、あなたは死ぬのを免れることはできません。死はいずれあなたを要求することになり、あなたはそこへ行くのを避けることはできないのです。 けれども、その時では、もう手遅れなのです。もしあなたが神の救いのご計画を退けているなら、あなたはわざわいです、わざわいです、わざわいです! 神は、愛の神であられると同時に、御怒りの神でもあられるのです。神の御怒りが臨むその人は、わざわいです。 ■あなたは永遠をどこで過ごすのでしょうか? あなたは永遠をどこで過ごすことになるでしょうか? その場所は、二つのうちのいずれかです。天国か、あるいは、火と硫黄の池のある地獄です。 もしあなたが自分の罪を悔い改めず、主イエス・キリストをあなたの主また救い主として信じていないなら、あなたが永遠を過ごす場所は地獄となります。 愛するみなさん、神はあなたのために地獄を造られたのではありません。神は人間のたましいのために天国を造られたのです。そして、神は悪魔と彼の使いどものために地獄を造られたのです。 もし私たちが地獄に行くとすれば、それは私たち自身のせいなのです。イエス様はご自分の尊い血を流すことによって、あなたや私のために天国に行く道を備えてくださったのです。あなたは自分のすべての罪から解放されて、天国をあなたの永遠の住まいとすることができます。 あなたの人生にイエス様を受け入れてください。彼は、悲嘆にくれたあなたの心をいやすことができ、あなたを麻薬やアルコールや病気やあらゆる罪から解放することができます。主が私を解放することができたのなら、あなたを解放することもできるのです。 愛するみなさん、私は、地獄が存在することの、生き証人なのです。私はそこを歩いてきたのです。私はそこに行って、悲鳴を上げ、叫び声を上げ、泣き、わめき、歯ぎしりし、「どうか私を地獄に置き去りにしないよう、死の天使に命じてください」と神に懇願してきたのです。 地獄と滅びに至る道は広く、永遠の命に至る道は狭いのです(マタイ7・13)。 神とともにある命を選んでください。きょう、あなたの心の中に彼を受け入れてください。あすでは手遅れになるかもしれません。 ■今、この祈りをしてください どうか今、あなたの心の中に彼を受け入れてください。私といっしょに、この祈りをささげてください。あなたは、たった今、救われることができます。 「主であられるイエス様、私の罪をお赦しください。今、あなたの尊い血で私を洗い清めてください。 私のこれからの生涯、私はあなたのために生きます。これから私は神の召しに従っていき、私の人生のためのあなたのみこころを選び取っていきます。 イエス様、私を愛し、私のすべての罪を赦してくださったことを感謝します。 アーメン」 私はあなたを愛しており、イエス様もあなたを愛しておられます。 アリーン・バクスレー (1974年、自動車事故に遭い、人生を一変させる経験をした後、アリーン・バクスレーはフルタイムの宣教伝道者として彼女の証しを世界の国々に伝えています) ……「ミニ冊子 私は地獄の中を歩いた!」より |
…私があなたにその場所を見せようとしているのは、地獄が実在することを知らない人々が大ぜいおり、彼らは恐れていないからです。 彼らは、それはゲームのようなものであり、地獄は冗談事だと信じています。 そして、そのことについて知らない人が大ぜいいます。 だから私はあなたにその場所を見せようとしているのです。… …私たちはトンネルの端に着きました。私が下方に目を向けると、炎で覆われた深淵が見えました。 それから私たちはその深淵の中へ下り始めました! 私は悲鳴を上げて泣き出しました。…… |
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《メアリー・K・バクスターの地獄体験》 (「地獄についての神の啓示」「天国と地獄」) ★ 抜粋を音声で聞く( MP3) → 体験A(7分) B(9分) C(9分) |
《神様は私たちを深く愛しておられます!》
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■息子と両親の会話 【息子】「母さん、俺はあの本(聖書)の中にあるような、くだらないことに、俺の将来の希望を置くようなことは決してしないからね。 十歳の子どものほうが、もっと、まともな話をすることができて、もっと、ましな本を作れただろうね。 俺は、聖書は今まで人間に押しつけられたうその中で、最悪のものだと信じているよ。 あの詐欺師のイエス・キリストに頭を下げて、彼の救いの功徳により頼むくらいなら、俺は地獄に行くほうがましだよ、もしそんな所があるのならね… |
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■更正すると約束していた少年
… アデュラムの一人の少年が地獄に引きずられて行きました。 彼は、軍隊のある士官から、『使い走り』の役目を解雇された少年でした。 私たちは彼が街で幾日も物乞いをしているのを見て、アデュラム救済ホームに彼を連れて来ました。彼は更正することを約束し、うわべはきちんとしているように見せました。また、かなりの間、福音を聞いており、悔い改めたと公言していました。 ホームからさまざまな物が無くなりましたが、そのどろぼうが見つかったのは、この少年が盗品を売りに行く途中で捕まった時でした。 それから私たちは彼をホームから出しました。 この少年は、それから数ヶ月間、物乞いの生活をしていました。この間、彼は、私たちが彼に戻ることを許すなら自分は更正すると繰り返し約束しました。 それから私たちは彼にもう一度チャンスを与えました。主も彼にもう一度チャンスをお与えになりました。というのも、生活を正すに十分なまでに、聖霊の現れや超自然的な啓示もあったからです。 この少年自身も聖霊の油注ぎを受け、主は彼の罪をじかに取り扱われ、彼にもっと良い道を示されました。 ■ふたたび罪の生活へ… そういうすべてのことにもかからわず、この少年は逃げ去って、物乞いとどろぼうをする街のギャングに加わりました。 二、三ヶ月後、彼はころんで片腕を骨折し、感染症を患うようになりました。そして彼が死にかけていた時、ある病院の職員に拾われました。 ところが、その病院で、彼はあまりにも不従順であったため、放り出されました。 そして、彼は路上で死にかけていました。 彼は悔い改めるとの約束をもって私たちのところに来たので、私たちは彼をあわれみ、もう一度彼を収容しました。 彼は日一日と、人生の終わりに近づいていました。 ■彼を地獄へと迎えに来た悪霊ども 彼が死ぬ前の日の晩、私は、この地上のものではないような悲鳴で目が覚めました。それは、何らかの野生動物か、何らかの恐ろしいものの、薄気味悪い遠吠え(わめき声)のように響きました。 その翌日、その少年が死んだ時、私は外出中でした。彼が死の苦しみの中で横たわっていた時、うれしそうな、恐ろしい悪霊どもが彼の周りに集まりました。 彼のたましいが彼の体から離れようとしていた時、その少年は、自分を捕らえる者どもを見て、泣き、わめき、悲鳴を上げ、このうえなくおびえて、声の限りに叫びました。 「ベイカーさん、助けて! 助けて! 助けて! ああ、ベイカーさん、すぐに来て! ベイカーさん、ベイカーさん、ベイカーさん! 助けて、あいつらがみんな鎖を持って、俺の周りにいるんだ! あいつらが俺を連れに来たんだ。 助けて、助けて、ベイカーさん、助けて! あー、あー、あー、助けて! 助けて! 助けて! あいつらが俺を鎖で縛ってる。助けて! 助けて! あー、あー、あー、助けて! あー、じ…ご…」 (ハロルド・A・ベイカー著『終わりの時代の出来事』より抜粋)
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私が二十歳位の時でした。国(スウェーデン)のある老人ホームで働いていた時のことです。 ある日、Kという名前の老人の体の具合が急変し、亡くなろうとした時のことです。 私は彼のベッドのそばに立っていました。 Kが亡くなる直前、彼は大声で、「助けてくれ! 助けてくれ! 見ろ!」と叫びながら、足元をさし、恐怖に震える声で言いました。 「たくさんの悪霊が来て、私を地獄へ連れて行ってしまうんだ! 助けてくれ!」 彼は、そう叫びながら亡くなっていきました。 その時、私が恐れながらKの足元を見ると、そこに真っ黒なトンネルがありました。 そして、その中から真っ黒な服を着て真っ黒な帽子をかぶった悪霊が出て来ました。 老人の遺体からも、何か灰色の柔らかそうな「もの」(それは老人の体の形に見えました)が出て来ました。 そして、その「もの」は、悪霊によって引っ張られて暗いトンネルの中に連れて行かれ、消えて行ってしまいました。 突然、部屋は氷のように冷たく寒くなり、遺体だけがそのままベッドに残っていました。 私は夢を見たのでもなく、幻を見たのでもありません。しっかりと目がさめていました。 あれは、灰色の「たましい」なのでしょうか。 それだけではなく、私は悪霊までも見たのです。 私は、「ああ、福音を伝えなければならない、しっかりとイエス様にとどまらなければならない」と思いました。 Kが亡くなって数週間後、彼の村から一人の方が訪ねて来ました。 それで私は知ったのですが、彼が若かった頃、彼の住んでいた村に大リバイバルが起こり、毎晩毎晩、村の教会で伝道集会が開かれ、多くの人々が救われたそうです。 その時、Kも伝道集会に出席しましたが、どうしてもイエス・キリストを救い主として受け入れる決心をすることができませんでした。 ある晩のこと、集会中でしたが、Kは立ち上がり、大声で、「聖霊よ、出て行け! もう私の所へ来ないでくれ」と叫んで、外へ出て行きました。 その日以来、彼はまるで別人のようになり、心が石のように硬く、冷たくなり、神様の御声を二度と聞くことがなかったそうです。 聖書に、「語っておられる方を拒まないように注意しなさい」と書いてありますね。(ヘブル書12・25参照) 地獄は本当にある恐ろしい所です。 悪霊も実際にいます。 地獄へ引っ張られて行く人を、私はこの目で見たのです。 だれも、地獄が人生の最後の終着駅となることのないように、主イエス・キリストをしっかり信じていただきたいと、私は心から祈っている者です。 |
臨死体験で、「花畑」や「亡くなった家族や親戚」などを見たという事例があります。 そういう臨死体験をした結果、「自分は天国の『花畑』を見た」、「自分は死後に天国に行けるとわかった」、「死は怖くないとわかった」、「死の恐怖がなくなった…」などの感想を述べる体験者たちもいます。 けれども、それらは誤解と錯覚です。 本当は、非常に恐ろしい世界を体験しています。 臨死体験の真実と悪魔の偽造行為についての詳細は、『悪魔による偽造物』を参照ください。 |
臨死体験は、体験者が真のクリスチャンの場合と、それ以外の人の場合とで、全く異なります。 その後者の場合の証言で、体験者の霊が肉体から離れた後、「トンネル」を通過したという事例が多くあります。… 「私は肉体から跳び出し…下り始めました…下へ、下へ、穴の中へ下って行きました。 井戸か洞窟か洞穴の中に下って行くようでした。…私は周囲を暗闇で取り囲まれていました。…人間が見たことのない、どんな夜よりも暗い闇でした。… |
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「…そして暗やみとともに、息ができないほどぞっとするにおいがしてきました。 このトンネルの側面には、壁に生き物たちが埋め込まれていました。色は暗い灰色で、私たちが通る時、それらの生き物は動いて私たちに叫びました。 何も言われなくても、それらのものは悪しき者たちであることがわかりました。 ぞっとするにおいは、彼らから出ていました。彼らは、この上なく恐ろしい金切り声で私たちに叫びました。 私は、目に見えない悪の力がトンネルの内側を動いているのを感じました。… |
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■偽造された「亡くなった知人・親戚・動物…」
真のクリスチャン以外の人々の臨死体験で、「トンネル」体験の後、「亡くなった知人・親戚・動物」などとの出会いが報告される事例が多くあります。 ★日本人の臨死体験例
■人間に変身する悪霊 こういうさまざまな登場人物は、本物のその人なのでしょうか? 聖書はこう述べています。
ラファエル・ガッソン氏は、かつて心霊術の教師でしたが、その後、クリスチャンとなりました。 彼の著書『悪魔による偽造物』からも、次のことが明らかです。(「第九章 物質化…偽造の人間と物体」参照) 悪霊は人間に変身できるのです。 そういう「登場人物…人間」は、実は、悪霊どもによる「偽造人間」です。 悪霊どもは人間の生活を非常に詳細に知っているのです。 ラファエル・ガッソン氏が証言している通り、「人間一人一人の生活をきわめて詳しく調査することができるほど十分な数の悪霊どもが存在する」のです。(第四章) 悪霊どもはその人物の姿に変身できるだけでなく、その人物の性格や背景、内密のことを詳しく知っており(彼らは『ファミリアー・スピリット』と呼ばれています)、まんまと人をだますことができるのです。 ラファエル・ガッソン氏はこう証言しています。
ただし、悪霊どもの偽装は完璧ではありません。たとえば、このような事例もあります。 ★日本人の臨死体験例
■動物・昆虫・奇妙な塊にも変身する悪霊 かつて「サタンの使い」であったバガラス・カンコ師も、悪霊どもがさまざまな姿に変身できることを証言しています。(同書の《序》参照) 彼は、悪霊どもが、男性、女性、子どもなどの人間の姿として現れることもできるし、動物、昆虫、蛇、ハエ、トカゲ、タコ、イカ、カニ、ウミヘビ、魚、あるいは、奇妙な塊(かたまり)などにも変身できること、さらに、悪霊の大きさも、顕微鏡で見えるくらいの細菌(ばい菌・病原菌)として現れるものもいれば、超高層ビルほどの大きさのものもいることを証言しています。 サタンは自分に仕える人間にも、変身する力を与えています。 バガラス・カンコ師がサタンの使いであった時、サタンは彼に、「蛇、ワニ、チョウ、トカゲ、カニ」の五つの生き物に変わる力を与えていました。 同じく元「サタンの使い」であったエマヌエル・エニ師も、かつて、彼が「女性や獣や鳥や猫」などに変身できるようにされていたことを告白しています。(詳細は→ エマヌエル・エニ師著『祈りの奥義』参照) |
悪魔は、ある人物と「そっくりの人間」に変身して、その人の前に現れることもできます。 『悪魔による偽造物』(ラファエル・ガッソン著)の「第四章 透視と透聴」に記されている通り、「人間一人一人の生活をきわめて詳しく調査することができるほど十分な数の悪霊どもが存在」し、彼らはその人物の姿に変身できるだけでなく、その人物の性格や背景、内密のことを詳しく知っており、人々をだましています。 真のクリスチャン以外の人々が臨死体験で「自分とそっくりの人間」が現れたという報告もあります。 ★日本人の臨死体験例
ラファエル・ガッソン氏もこの体験をしました(同書「第一章 サタンからキリストへ」参照)。
この「自分とそっくりの人間」が案内した先は、「心霊術者たちの教会」でした。(第一章) もちろん、この「そっくり人間」も、悪霊の変身でした。 真のクリスチャン以外の人々が臨死体験で、「光の存在者」を見たという報告があります。 しかし、悪魔は「神の天使」に見せかけて現れることさえ可能なのです。 聖書がこう記している通りです。
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真のクリスチャン以外の人々が臨死体験で、「花畑」などを見たという報告があります。 しかし、詳しく調べてすぐにわかるのは、それが本物の天国のパラダイスの光景とは異なる種類のものであることです。 ■本物の天国 オスシツェ・ムシ師は、神によって案内された天国のパラダイスを、 こう証言しています。(『天国の真実 第一集』参照)
ところが、真のクリスチャン以外の人々が体験する「花畑」は、異種の世界です。 ★日本人の臨死体験例
いったい、どういうことなのでしょうか? |
■悪霊どもによる「芝居」
元心霊術の教師であったラファエル・ガッソン氏は、この「救出の働き」、すなわち、「悪霊による悪霊追い出し」について、こう述べています。(『悪魔による偽造物』第七章「救出の働き」『役割分担をしている悪霊ども』の項を参照)
真のクリスチャン以外の人々の臨死体験の多くも、悪霊どもによって演じられている「芝居」です。 悪霊には、「そっくりの変身」、「そっくりの声」、「そっくりの模造」、「内密(私事)の知識」、「悪魔による超自然的奇跡や病気のいやし」など、人間にはできない能力が多くあります。 彼らはそういう超自然的な能力を巧妙に使い、人間をだまして、『信じ込ませる芝居を打っている』のです! ■『芝居』の出演者…サタンと悪霊ども 登場する「亡くなった知人・親戚・動物…」の正体は、「変身した悪霊ども」です。 本物の「亡くなった知人・親戚…」が地獄(あるいは天国)から抜け出してきて『芝居』に登場しているわけではありません。 同書の「第九章 物質化…偽造の人間と物体」で明らかなように、悪霊どもは人間にも、動物にも変身できます。 しかも、彼らは人々の性格や背景も熟知しており、巧妙に「知人」や「親戚」に「なりすます」ことができます。 ■『芝居…天国劇』が演じられている場所 それは、地獄の入口の近くにある、そういう「臨死体験者」専用の『特設会場』と考えられます。 そもそも、本物の天国は「トンネル」を通って行き着く場所ではありません。 「トンネル」を通って行く先の場所は、すでに見てきた通り、地獄です。 悪霊どもは、地獄の入口近くの『特設会場』に、そういう「臨死体験者」専用の「花畑」という舞台を設置して出迎えていると考えられます。 ■微妙な(あるいは、大きな)ちがい 地獄の中に偽造されている「花畑」は、本物の天国のパラダイスとは全く比べものになりません。(前ページ参照) 本物の天国を知っている人々なら、その微妙な(あるいは、大きな)ちがいは明らかです。
■臨死体験者たちの抱く錯覚 ところが、本当の天国を知らない臨死体験者たちの多くは、このような『特設会場』に案内されると、本物の天国の『花畑』を見たのだと錯覚してしまうのです。 そういう臨死体験者たちの抱く錯覚は、たとえば、こうです。 ★日本人の臨死体験例
彼らが受け取るメッセージや感想は、同書でわかる通り、心霊術の悪霊どもが伝えようとしているものと似ています。 すなわち、「悪魔は存在しない」、「地獄は存在しない」、「霊魂の生まれ変わり」、「死後の『裁き』の否定」、「死後は何もかもハッピー」、「罪に対する『永遠の刑罰』は存在しない」などです。 |
■臨死体験で恐怖を体験する人々
ところで、臨死体験はワンパターンではありません。 「トンネル」や「花畑」を体験しない人々もいます。(覚えていない可能性もあります) また、『芝居』を見ずに、悪霊や地獄の本物の恐怖を体験する人々もいます。 それは、悪霊どもが本性を現している時です。彼らの姿は、もはや「変身(変装)」した人間の姿ではなく、このうえなくグロテスクで恐ろしいものです。 本物の地獄に案内され、本物の悪霊どもを見ることを許されたビル・ウィーズ師は、悪霊どもの姿をこう描写して証言しています。 (HP「地獄での23分… ビル・ウィーズの体験」参照)
臨死体験で、その恐怖の一部を体験した人々もいます。 ★日本人の臨死体験例
この「腕や足を引きちぎったり」したのは、悪霊以外の何ものでもありません。 そして、この「真っ暗な世界」も、天国ではなく、地獄の入口に近いどこかの場所と思われます。 ■臨死体験で拷問を受けた人 同様の臨死経験をしたハワード・ストームという人がいます。(HP「地獄に行きかけた無神論者!」参照)
この人は、この時、無神論者の大学教授でした。彼はまさに地獄の中に行こうとしており、すでに大ぜいの悪霊どもから拷問を受けていたのです。その続きは、こうです。
幸いにも、彼は本気でイエス・キリストを受け入れました。そして、地獄に行く必要はなくなりました。 この臨死体験後、彼はイエス・キリストの福音を伝える牧師となりました。 (『天国と地獄の現実』 HP「地獄に行きかけた無神論者…ハワード・ストームの体験」参照) |
確かに恐ろしい「臨死体験」も存在しますが、本物の地獄の体験は、それとは比べものになりません。 ビル・ウィーズ師は、悪霊どもによる本物の拷問を体験し、こう証言しています。 (HP「地獄での23分… ビル・ウィーズの体験」参照)
■もはや「芝居」を見なくなる時 悪魔と悪霊どもが人々の臨死体験で『芝居』を打っているのは、人間がイエス・キリストの福音を受け入れて天国に行くことがないようにするため、すなわち、地獄に送り込むためです。 人はだれでも、実際に自分の死を体験する時が、いずれ来ます。 その時、真のクリスチャン以外の人々が『芝居』を見ることは、もはやなくなります。 悪魔が「芝居を打つ」必要はなくなるからです。 |
臨死体験者たちが悪霊からどんな暴行を受け、どんな恐怖を体験したとしても、本物の地獄の永遠の苦しみには、はるかに及ぴません。 聖書はこう言っています。
本物の「火の池」の苦しみを体験することを許されたマイケル・イーガー師は、次のように証言しています。(『地獄の恐怖・天国の壮麗』参照)
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■火の池の中の体験!
マイケル・イーガー師は、自ら、この地獄の火の池の中の体験をしました。(『地獄の恐怖・天国の壮麗』参照)
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■とても美しい天使たち 私(ソロモン・B・ショー)の知人であるケアリー・カーメンが死の淵に立っていた時、彼女は上を見つめ、こう叫びました。 「美しいわ! 美しいわ! 美しいわ!」 だれかが尋ねました。「何がそんなに美しいんだい?」 「ああ、彼らはとても美しいわ」 「何が見えるんだい?…」 |
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■天国への旅立ち …私は、何か目を見晴らせるようなことは全く何も予期していませんでした。私は、主が彼の御臨在と御力で私を満たしてくださると思っていただけでした。 ところが、主はそれ以外のことを思っておられました。 祈りの後、私は眠りに就きました。真夜中に私は目を覚まし、それから、… |
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■私は地獄に案内された! 今朝の午前3時、主は私を地獄に案内されました。 私の霊の目は開かれており、私は滅びたたましいたちの領域に案内されました。 私は、地獄がさまざまな部門やレベルに配列されているのを見ました。 私は最初に、赤くて熱いマグマ、液体の火を見ました。 そこで私は、熱い火が渦巻き状に動いているのを見ました。 まるで、その底に、その火をあおいでいる何かが存在するかのようでした。 それが回転すればするほど、ますます熱くなりました。 人々はその恐怖で悲鳴を上げていました。 私は、それが非常に熱いとわかり、それに近づきたくありませんでした。 私は別の場所を見ました。 燃えている大きな炎が見え、闇の中で、おびただしい数の人々が悲鳴を上げているのが聞こえました。 そこには火と暗闇が存在しました。 最初、私が聞いたのは、叫び声や、泣き声や、うめき声でした。 ところが、それらの声がどこから聞こえてくるのか、私には見えず、わかりませんでした。 しかし、どういわけか、私はのぞき込んで見ることができたのです。 地獄のある一つの場所で、私がいっしょに学校に通ったことのある人を私は見ました。 その人は、私の名前を呼んで叫んでいました。 あたりに他の人々もいましたが、だれなのかは見分けがつきませんでした。 彼らも、それぞれ自分なりの拷問に捕らえられており、空中に手を投げ出し、体は焼かれていました… ■だまされている人々 主はこう言われました。
■地獄にいた、あらゆる種類の人々! この場所には、あらゆる種類の悪霊どもと拷問が存在しました。 私は、悪霊どもが人々をあざけったり、彼らを突き刺したり、目をえぐり出したりしているのを見ました。 人々は死ぬほど叫んでいました。 あらゆる種類の恐ろしい拷問がありました。 …悪霊どもは彼らの上に跳び乗り、彼らを突き刺し、彼らの肉を引き裂きました。 私は泣いており、私の顔を隠そうとしながら、こう言いました。 「私はこれを見ることができません! 私はこれを見ることができません!」 頭を切断された人々もいました。 地獄には、多くの場所に、さまざまな仕方で死んだ、あらゆる種類のたましいが存在しました。 彼らは、さまざまな罪の中で死に、そして、多くの仕方で拷問を受けていました。 老人も若者もいました。病気で死んだ人々も、健康なままで死んだ人々もいました。 白人もいれば、黒人もいました。買い物をしていた時に死んだ人々、事故で死んだ人々、テロリストに襲われて死んだ人々、神秘的な死に方をした人々、誘拐されて儀式でいけにえにされて死んだ人々、病院のベッドで死んだ人々などもいました。彼らは不信者たちでした。… そういう人々はみな拷問で苦しみを受けており、あの火の炎や、悪霊どもや、地獄のさまざまな拷問を逃れることはできませんでした。 地獄は非常に広大であり、人々で満ちています。 自分の心の中に偶像を持っていた人々のいる場所も存在します。彼らは、神以上に、神以外のものを愛して崇拝し、それらのものが彼ら自身の偽の神々となっていたのです。(出エジプト記34・14) 偶像礼拝する人々が天の御国を相続することはありません。 性的な罪、淫行、姦淫、売春、レイプ、同性愛、情欲などに関わっていた人々のための場所も存在します… 酒飲みたちのための場所、殺人者、白人たち、インディアンたち、黒人たち、よく知られた人々・有名な人々、金持ち・貧乏な人々のための場所も存在します。 ■新しく生まれ変わって正しい生活をすること 主は私にこう言われました。
私は『マグマ』のようなものの上方を漂っていました。 「ああ、これは恐ろしい!」と私は泣き叫んでいました。 私は主に、「私はあれを見たくありません」と言っていました。 たましいたちは、炎の中で、また悪霊どもにより、拷問で苦しめられていました。 私は自分の両手で私の目を覆おうとしました。 主はこう言われました。
どうか、地獄に行かないでください。 きょう、あなたの罪を悔い改めて、聖い生活をしてください。 … (『クリスチャンへの警告 携挙の真実』より抜粋)
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人間が死ぬ時、その人が真のクリスチャンの場合と、それ以外の人の場合とで、そのようすも行き先も全く異なります。 神の真の子どもであるクリスチャンが死ぬ時、その人の霊は体から離れ、神の御使い(天使)たちに護衛されて天国へ行きます。 けれども、真のクリスチャン以外の人々が死んだ場合は、全く異なります。彼らに悪霊どもが現れ、地獄へと彼らのたましいを引きずり下ろして行きます。 前者の人々は、現在も、そしてこれからも永遠に、天国でこのうえなく幸せな至福の中にいます。 後者の人々は、地獄でこのうえなく苦しくてつらい拷問を受けており、やがて燃えさかる火の池の中で永遠を過ごすことになります。 地獄における永遠の滅びではなく、天国における永遠の命と幸いを選択しようではないでしょうか。 |
聖書はこう警告しています。
(イエス・キリストによる救いについては、『地獄に行かず、天国に行く方法』をお読みください) ■神はあなたを深く愛しておられます! 神はあなたを深く愛しておられます! 人間は死んでから無に帰するのではなく、天国か地獄で永遠に生き続けます。 罪があるままでは、100パーセント確実に地獄に行き、 永遠に苦しみ続けることになります! もちろん、神はあなたが天国に入れるようになることを望んでおられます。 イエス・キリストは、あなたにこう語っておられます!
★こちらを順にお読み下さい。 《1.神様はどのようなお方か?》 《2.罪とは何か?》 《3.どうすれば天国に入れてもらえるのか?》 |
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■地獄での23分 ■地獄で焼かれていた兄弟と友人たち ■スキューバ・ダイバーの体験 ■サタンにだまされた16歳の少年 ■福音をばかにした男の結末 ■私は地獄の中を歩いた! ■神を拒んだ老婦人 ■ガーナの少年が目撃した最後の審判 ■地獄に行きかけた無神論者! ■本物の地獄体験・サタンの偽光体験 ■天国での感激の再会! ■天国にいた動物たち! |
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