■激しい批判と攻撃
ある20代の青年牧師が、彼の教会で次のような説教をしたと仮定してストーリーを展開することにしましょう。
「みなさん、神は愛です。
愛の神が人間を地獄に送るということが、あるでしょうか?
ありません!
私の教会に通って洗礼を受けている人は、みな天国に行きます。
天国や地獄に行ってきた、見てきたというような話は、どれも『まやかし』や『作り話』ですから、みなさんは信じてはいけません。
異言は悪霊による現象です。
今の時代に預言は不要なものであり、信じてはいけません。
現代の科学の時代に、神のいやしや奇跡も存在しません。
そういうものは昔の話です。
今の時代に存在するとすれば、悪魔によるものです。…」
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この青年牧師は、天国・地獄・異言・預言・いやしや奇跡などを主張する人々を激しく批判し、攻撃していました。その意気込みは、かつての青年サウロ(使徒7・58)のようでした。
ところが、転機が訪れました。
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